猫もいいですよね

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イヌとネコ

猫もいいですよねえ

世間ではよく「あなたは犬派、それとも猫派?」ということがよく言われるけれど、私の場合は両派です。
それぞれ、特徴があり、それぞれに可愛い。
ここでは、猫に関する本を紹介してみます。

猫と庄造と二人のおんな

猫本といえば、普通、まずは漱石の『吾輩は猫である』でありましょうが、私の場合、イチオシはこれ、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』。

この人のスラップスティック(ドタバタ)は抜群におもしろい。

なに? 「谷崎は純文学や、ドタバタとちゃう!」? だけど、私はドタバタとして読みました(=^^=)

漱石の『猫』はニンマリ微笑んだり、クスクス笑ったりですが、谷崎の『猫』は「どわははひゃひゃ~っ!」と大爆笑。勿論、クスクス場面もあるけれど。

なにしろ、初めから終いまで笑いっぱなし。

冒頭の手紙からして、まず可笑しい。初めて読んだ若かりし頃、「お前は筒井康隆かっ!」と思わず突っ込んでしまいました。

 

猫好きはもとより、本を読んで笑いたいという人も必読。

お薦めの一冊です!

谷崎純一郎 新潮文庫

「猫と庄造と」丸谷才一

『猫と庄造~』について、もう一言。
私の大好きな作家に丸谷才一がいる。中学生のころ『笹まくら』を読んでぶっ飛ばされました。
その丸谷氏が『猫と庄造~』について書いた文章があります。(『別れの挨拶』所収「男の小説②」)。
「私は大野晋と対談『光る源氏の物語』をしたとき、この猫(注:『源氏物語』若菜の下に登場する猫)を褒めちぎったし、対談が本になったときのインタビユーでは、たしかこの猫を評して、「日本文学史を闊歩する二匹の猫のうちの一匹」と褒めそやし、「もう一匹は言ふまでもありませんね。夏目漱石『吾輩は猫である』の猫」などと口走った」と書いた直後に、次のように述べる。
「あれは大失言でした。うつかりしてゐた。もう一匹ゐる。谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』の雌猫リリーです。これがすばらしい。他の二匹と並ぶ資格が十分にある」「小説好きならぜひとも一ぺん手に取るべき名篇」と言い、さらには「谷崎の作中、どれかひとつを選べと迫られたら『猫と庄造と府二人のをんな』にするかもしれないくらゐ、この小説が気に入つてゐる」。
さて、天国の丸谷氏、私の「スラップスティックとして読んだ」などという発言を「浅はかな読み方」と呆れるだろうか、それとも「さういふ読み方もあるか」と笑い飛ばしてくれるだろうか・・・。

吾輩は猫である

次はやはり定番の漱石の『猫』。

今さら紹介の必要もないほどです。

ストーリーでひっぱる小説でないため、何度読み返しても面白い。

ただ、これ関連本がむやみに多いのですね。

私が持っているものだけでも紹介しておきます。

 

まずは柳広司の2冊。

『吾輩はシャーロック・ホームズである』と『漱石先生の事件簿 猫の巻』

『ホームズ』の方は猫とあまり関係ありません、ロンドン留学中に自分はホームズだと思いこんだ漱石先生の物語。

一方『事件簿』の方は完全に『猫』のパスティーシュ。

この人、もともとパスティーシュの名手で、私は『シートン(探偵)動物記』を初めて読んだ時に、「これ、シートンが書いたんちゃうか?」と思わせられたほど。

この『事件簿』もそれにおとらぬパステーシュで、漱石臭プンプン。

漱石の『猫』は面白く読めるが、いざ本を閉じてしまうとどんな話だったかさっぱり思い出せない、という人は多いのではないか。私もその一人だ。実はそれこそ漱石の仕掛けた謎だったのだ! という趣向。で、漱石家に居候する書生が謎解きに乗り出してゆく。いや、面白い!

但し、これを読んでしまうと、何度も読み返した『猫』をまたぞろ読みたくなるという困ったおまけがついてきます。

 

高田宏の『「吾輩は猫でもある」覚書。』

こちらは一転して、猫をめぐるエッセイ集。

「愛する猫を語るとき、いったい誰が理路整然と語れようか」という著者の猫たちをめぐるお話の数々。日差しの暖かい午後に、縁側辺りで猫を膝に乗せながら読みたい一冊。

 

内田百閒の『彼ハ猫デアル』。百鬼園先生がノラとクルについて書いた文章を全て集めたという中公文庫『ノラや』冒頭の1篇。ノラが家に来たいきさつが語られている。ノラは結局失踪してしまうのだけれど、ノラを思う百鬼園先生の思いが心に迫ります。

 

私は未読ですが、同じ著者の『贋作吾輩は猫である』もあり、こちらは甕に落ちた猫がどっこい這い上がってきたというところから始まるらしい。

 

同じく、どっこい猫は生きていたで始まる奥泉光の『「吾輩は猫である」殺人事件』。

こちらも文体はパスティーシュ。吾輩はなぜか上海におり、そこに苦沙弥先生殺害の報が流れる。猫サロンで知り合った英国猫のホームズとワトソン博士、寒月・東風・迷亭も登場し、「名前はまだない」という言葉に隠された謎を追う。読み応えのある長編です。

 

 

赤瀬川源平『吾輩は施主である』、カミンスキー『我輩はカモじゃない』とウェストレイク『我輩はカモである』、単に題名をとっているだけ、猫とは何の関係もありません。

赤瀬川源平には他に漱石の『猫』関連の著書もあったはずだが、思い出せない。

後者は、共にマルクス・ブラザーズの映画からの名付けだと思われるけれども、邦題の元は漱石の『猫』なので、一応挙げておきました。

 

他にもまだあったはずなんだけれども、探しきれずにおります。

 

もっとも、ネット検索すれば数限りなく関連本が出てくるわけですが・・・。

ネコの世界 ネコの探求

随分、前のことになるのだけれど、動物園に行って驚いたことがある。ライオンや虎が「ネコ目ネコ科」と表記されていた。それどころか狼や狸も「ネコ目」になっている!

 

どうしたことかと思って調べてみると、1988年に、当時の文部省が従来の「食肉目」に替えて「ネコ目」を推奨したらしい。

しかも、その理由が「一般人がイメージしやすい種」を、その目の名に冠することにした、というのだ。

で、「イヌ目」とするか「ネコ目」にするか、7人(だったと思う)の委員の多数決で決めた。ネコ派4人対イヌ派3人だったそうな。そんなん、単に委員の好みではないか! 好みで決めさせられた委員も気の毒ではあるが、「アホなことすな!」と言えなかったバチでもあろう。

 

勿論、犬も熊もイタチもパンダも大枠では「ネコの仲間である」と言えないことはない。けれどもそれでは犬や猫がミアキスという共通の祖先から分岐してきたという歴史性が捨象されてしまうではないか。

 

そればかりではない。「犬って昔は猫だったんですか?」という素朴な疑問も出ているようだ。

上から目線で「一般人に分かりやすいように」等と言いながら、実は混乱させているではないか。実にバカなことをしたと思うのは私だけではあるまい。

(今回、この文を書くに当たって調べてみると、やはり専門家から総スカンを喰らっているらしい)

 

そこで、というわけでもないのだけれど、この2冊を紹介したい。

前者は今泉吉典先生と吉晴先生の共著。
後者は今泉吉晴先生の著。
ともに写真も多く楽しい1冊である。


「世界」の方は、猫の性質・生態・生活圏などから始まって、ミアキスに始まる「食肉目」の歴史(系統樹)、及びネコ科の歴史や現存するネコ科の分類=まずはチーター族・ヒョウ族・ネコ属と大きく分け、次に細かく分類されていて、実に分かりやすい。写真や絵などでも現存するネコ科の面々を紹介しています。おもしろいですよ、これは。
特に野生のネコ科の写真が多いのが素晴らしい。
「一般人にも分かりやすい」というのは、こういうことを言うのだ。

末尾には平岩米吉先生の「にっぽん・ネコ変遷史」も収められていて、これも短文ながら読み応え充分。

一方「探求」の方は、イエネコ一本にしぼって、猫の性質・生態を詳しく語ると共に、猫をめぐるトラブルに至るまで、人と猫が暮らすのに必要な知識が満載。
本文の他にも、右下に「ネコと暮らす」という小さなコラムがたくさんあり、「イヌとネコのけんか」「ネコの理解力」「ネコもアル中になる」とか「卵は大好きなのに、殻付きの卵には見向きもしない」とか、これも楽しい。
勿論、写真も豊富。

何度読み返しても面白く楽しい2冊です。

ネコたちをめぐる世界

これは敬愛する日高敏隆先生の著。
かくいう私も若かりし日、日高先生が部長を務めた京大理学部の・・・裏の道を通って予備校に通ったものです(^◇^)。

ウナギ屋の”娘”で、ウナギしか食べないリュリ。その初産の子サンク他の6匹の猫と暮らす日常を描いたものではあります。
ありますが、そこは動物行動学者、そこから色々な発見をしたり、興味を抱いたり、不思議がったりする様子がとても面白い。

親猫が寝ている子猫のもとをいつ離れるかということから「動物における意思決定」の問題に言及する。
あるいは、ネコは「マウスを頭または胴体から食べ始め、最後にしっぽと胃袋をまず必ず残す」という監察から、「これがまた人間の悲鳴をひきおこすのである」という人間観察に至るのである。

また「床に敷かれたカーペットなどはたとえそれが部屋の床を一面におおっていなくても、ネコは別に気にしない。しかし、その上に落ちているハンカチは避けて歩く」「机の上に点々と置いてある本や灰皿は、ちゃんと避けてとおるが。机の上に大きく山積みされた本の上は踏んでゆく」、猫たちはどう踏みわけているのか、というきめ細かい観察も興味深い。

あるいは、動物の行動を擬人主義的に解釈することを嫌う人に対して、「けれど、人間だって、たとえば横断歩道を渡るときには手を上げて、などと教わると、鉄道の踏切を渡るときも手を上げてゆく人がいるのだから、似たようなものではないだろうか」などと人を喰ったことを言う。

文庫版も出ているので、是非読んでほしい一冊。

尚、お散歩道第9条「犬も所詮は人間だ」は、この著書の「ネコも所詮は人間に過ぎないのだ」からの剽窃なんですね(^^♪

三毛猫の遺伝学

硬い題名ですが、専門書ではありません。
「三毛猫は雌ばかりのはず・・・。でも、うちにきたジョージは雄なのに三毛猫だった、なぜ?」というところから、ローラの探求は始まる。
動物保護センターから引き取ってきたジョージとマックスとの生活を描きつつ、遺伝学の藪の中に入り込み、あっちこっちと脱線したり、迷い込んだりしながら、徐々に回答へと近づいてゆく。
ある種のドキュメントものである。
手っ取り早く回答に至りたいという人には向かないかもしれないけれど、ローラやジョージ・マックスと一緒に遺伝の世界をゆっくり旅してみたいという人にはお勧め。

雨の日の猫はとことん眠い

加藤先生は、色々と猫の本を出しているので「これ!」という1冊を選ぶのは難しい。
けれども、私は独断と偏見で、これを選びました。

「はじめに」のところに、「調子よく適応しているかと思えば、ふと原始性が顔を出し」「そのアンバランスな所業が大ボケ」「まじめな大ボケ、これこそユーモアの真骨頂」とあり、その真のユーモアが「毎日目の前で展開されているのだから、猫の暮らしは相当にハイセンス」と続く。

本文に入ると、具体例に入り、微に入り細にわたる描写が展開され、我々読者は「あるある!」とか、「え、そうやったん?」「言われてみれば、その通りや~」などの感嘆の声をあげながら、読み進むことになる。

例えば、猫はヒトとしか会話をしないという話。猫を飼っている人に「猫はヒトとしか喋らないの知ってる?」と聞くと、大抵の猫飼いは「え~っ!」と驚く。なんとなく我々は、猫同士も会話しているように感じながら暮らしているのですが、ところが実はそうではない、というような目から鱗のお話が満載!

ますむらひろし

え~、「ますむらひろし」は本の題名ではなく、作者の名前ですよね。
ま、猫漫画いろいろありと言えども、第一人者となれば、この人!
と、独断と偏見で決めている。
ところが、その独断と偏見をもってしても、この人の場合、代表作をあげるのが難しい。

まあ、「アタゴオル」シリーズは誰しもが推すところであろうけれど、その中でどれかとか、そうなってくると難しい。廃刊になってるものも数多く、うっかりしたことを言うとファンの人に激怒されかねない。

「銀河鉄道の夜」なら、とも思うが、2パターンある。写真はブルカニロ博士篇だが、「朝日ソノラマ版でしょう!」という怒りの声も聞こえてきそうやし・・・。(「ますむら版 宮沢賢治・童話集」には両方入っていて、お得)。

「そんなにややこしいなら、紹介しなければいいのに」とお思いの方もありましょうが、日本猫漫画を語る時に、ますむらひろしは外せないのだから、いたしかたない。

宮沢賢治を猫でやってしまうのというのが、まず凄い。
「猫の事務所」は文字通り猫が主人公だから当たり前としても、あのジョバンニやカムパネルラまで猫なんですよ! 
風の又三郎も、グスコーブドリも!
最初に見たときは、びっくりしましたよ、ほんとに。

「銀河鉄道の夜」は、アニメーション映画にもなっております。
監督:杉井ギサブロー 脚本:別役実 音楽:細野晴臣 と豪華キャストですよ。これも、お勧め。何度観ても、飽きません。
私が持っているのはビデオだが、今はDVDでも出ているのではないかしら。
う~ん、また観たくなってきた(#^^#)

What's Michael?

さて、猫漫画も色々あるわけですが、やはりこれは傑作ですよ、「ホワッツ・マイケル」。

これも「猫あるある」満載ではあるのだけれども、その「ある! ある!」から、「いや、それはないやろ・・・」というふうに展開してゆくところが、また笑える( ^)o(^ )
典型的なのが、有名な「マイケル・ダンス」であろう。

ところで、この漫画、本来は「漫画の描き方」の中の1篇だったって知ってました?
「漫画の描き方」に1度、猫が登場するシーンがあり、これがまた笑える。で、編集者から「もう一度、猫が出るシーンを描いてくれ」と言われて描いたのが第1回。そのまま、ズルズルと猫漫画を描かされたのだという。

でも、それが後々、幸いしているのでは? というのも、小林まことは、「マイケル」以後、デッサン力が格段に上がったと思うのは私だけでしょうか?

綿の国星

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猫楠

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