続・犬と狼の違い

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犬と狼は違いますが・・・

確かに、犬と狼は違います
但し、私から見ると実に不思議な、「犬と狼は 違う」派の人達がいます。
曰く、「犬は狼とは違う。従って、犬は狼と違って群れを作らないし、上下関係(ヒエラルキー・社会的序列)を形成しない。だから、飼い主は犬のボスになろうとしてはいけない、リーダーになるべきだ」と主張する一群の人達です。

まず、この論理が一見しておかしいのは、おわかりでしょうか?
この論理展開(犬は狼とは違う。従って群れないし、上下関係を作らない)を他の例に置き換えてみましょう。
犬は狼とは違う。従って、犬は狼とは違って4本足ではないし、尻尾もない」。はら、おかしいでしょう?
「犬は狼とは違う」という前提(これ自体は正しいのですが・・・)から、犬と狼の共通点を全部否定することはできないのです。当たり前なのですが。
ですから、「犬は群れを形成しないし、上下関係も作らない」と主張するためには、それを証明するような観察結果なり、元になる文献の提示が必要不可欠なのです。
単に「犬と狼は違うから」などと言う理由で、否定されるものではありません。
たしかに、大昔の訓練士さんの中には、犬と狼の習性を同じものとして、犬の習性と狼の習性を同一視する方も存在したという話は聞いたことがあります。
こうした単純な「犬=狼」説に反対するのは結構ですが、この人達はいささか行き過ぎてしまっているようです。
私の見るところ、大昔の「封建的な(?)」訓練士さんに対して反発するあまり、「犬は狼ではない」派の人達は人と犬との関係に民主主義を持ち込もうとしているのではないでしょうか。
「ボスではなく、リーダーに」というあたりに、その片鱗を感じます。
(私は「アルファ個体」という表現を好んで用いますが、意味合いさえキチンと把握していれば、「ボス」でも「リーダー」でも好きなように表現して構わないと考えております)。
問題なのは、表現ではなく、中身です。
私は、人と犬との関係に民主主義を持ち込むことには絶対に反対です。
犬との関係に民主主義を持ち込むとは、どういうことでしょう?
次の項で、「犬は狼ではない」派の人達のやり方を見てみましょう。

犬と民主主義

実は、「犬は狼ではない」派の人達が直接「民主主義」という言葉を使っているわけではありませんが、私にはそう見えるということです。
というのも、「犬は群れ、ヒエラルキーを形成している」ことの否定。その論拠として「犬は狼ではないから」という非論理的な展開。及び、その結果として「ボス」ではなく「リーダー」になろうと主張している点です。
まずは、民主主義ありきの考えから、「ボス」という非水平的な言葉を捨てようと主張している。次に、同じ考えから「ヒエラルキー」を否定する。
ところが、狼社会にはヒエラルキーが頑として存在するのは事実である。そこで、「犬は狼ではない」というそれ自体は間違っていない考え方を提出することによって、ヒエラルキーを否定する論拠としようとしている、というふうに見えるわけです。
あらかじめ民主主義があり、それを絶対のものとして据えたうえで、犬との関係を構築しようとしているのではないでしょうか。そうとでも考えないと「犬は狼ではないから、群れないし、ヒエラルキーも作らない」などという無茶苦茶な論理展開は理解できません。

民主主義だから、ギブ&テイク?

「犬は狼ではない」派の人達のやり方を実際に自分の目で見たり、人から聞いたりしたことがあるのですが、その特徴をまとめてみましょう。

1、やたらに、おやつを使う。
おやつをやたらに使うのが特徴です。私の知り合いのジャック・ラッセル・テリアは、ラブラドール・レトリーバーと同量の(!)おやつを与えられて、帰宅してから全部吐き戻してしまったことがあります。

トリーツを使ってはいけないとは言いませんが、私はあまりトリーツは使いません。使ってもほんの少量。その理由は別のところで述べるとして。
ここでは、なぜそんな無茶なトリーツの与え方をするのかを考察してみます。
要するに、民主主義独特のギブ&テイクの考えが根底にあると思えるのです。
犬と人間は本質的に平等である、この考えに私は原理的には賛成なのです。つまり動物としての人と犬との関係はどちらが上ということはなく、原理的には平等であるということです。
だからといって、人と犬の関係に民主主義を持ち込んでいいということにはならない。なぜなら犬は民主主義など求めていないからです。
やや脱線しますが(とは言っても、大変重要な脱線なので、しばらく付き合ってください。ただ、理屈の嫌いな人は、とばしてくれて結構ですが)、西洋型民主主義は「封建領主の支配」と「それへの服従」に対するアンチテーゼとしての出発点を持っています。
そして伝統的な犬の訓練法は「人の犬に対する支配と犬の服従」として発展してきたと言えます。ま、かなりざっくりとした捉え方ではありますが。概ね、そのようなものとして考えて間違いはないでしょう。
私も「服従本能」という言い方を便宜的にではありますが、使っています。
こうした「支配と服従」に対するアンチとして、犬との民主主義的関係の構築という考え方が出てくることは理解できるんです。
ですが、犬は民主主義なんて求めていない!
にもかかわらず、「犬は狼ではない」派の人達は犬との関係に民主主義をもちこもうとする、そこでギブ&テイクとばかりに、犬に何かをさせる時に、やたらトリーツを使う、必要以上に! と、私は考えています。
やや、先回りして言うと、私は犬との関係において、西洋型の「支配と服従」や、あるいはそのアンチとしての「民主主義=ギブ&テイク」のどちらの立場も取りません。
私の立場は「義理と人情」です(笑)。いや、笑いごとやのうて、これ大事なことなんですが、ここでは脱線し過ぎなので、別のところで説明します。

2、犬が飼い主になついていない
これについては、次項で。

犬が飼い主になついていない

2、第2の特徴。犬が人になついていない。

奇妙なことに彼らの犬は、飼い主になついていないように見えることです。
「言うことをきかない」ということではありませんよ。言うことはよくきくんです。その点では、大変よく訓練されていると言えます。

にもかかわらず、なついていない。先に「奇妙」と書いたのは、こういう意味です。 「言うことはよくきくのに、なついていない」。

それはやはり「ギブ&テイクの民主主義」に由来すると思われます。
犬は「与えられた見返りに、言うことをきく」、それ以上でも以下でもない。
実にドライですね。人と犬との絆は唯一、食べ物によって支えられているということでしょうか。

まあ、「それでいいのだ!」という人は、それでいいでしょう。

でも、それは普遍性を持ちえない、等と大上段に構える必要はないけれど、私は嫌ですね、そういう関係。
犬はやっぱり飼い主になついているのがいい。飼い主に可愛がられて、単純に喜んでいる方がいい、そういう人の方が多いんじゃないでしょうか?

では、正しいトリーツの使い方とは?

「ご褒美(トリーツ・おやつ・おもちゃ)の与え方」の項、参照してください。
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