お散歩道の お散歩流儀

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お散歩道の矛盾

具体的なお散歩流儀に入る前に・・・。

お散歩道は矛盾の哲学です。 
例えば【お散歩道10か条】 を見てください。
第8項「犬は犬で、人ではない」と言うておきながら、その舌の根も乾かぬうちに次の第9項では「犬も、所詮は人間だ」などと言うております。

何故か?

それは、矛盾していて何故悪い! という態度だからです。
説明したしましょう。

矛盾していて何が悪い!

ゼノンのパラドックスというのがありますね。ゼノンというのは古代ギリシアの哲学者です。(あ、この手の話が嫌いな人は、この項とばして次項へ行ってください)。

そのパラドックスの1つに「飛んでいる矢は止まっている」というのがあります。ゼノンが言うには、飛んでいる矢はある瞬間・瞬間を見れば、ある1点で止まっている、次の瞬間も止まっている。どの瞬間を見ても止まっているのだから、ず~っと止まっているのだ。別の言い方をすると、点をいくら集めても線にはならない。だから、止まっているのだ、という何だか分かるような分からんような話です。

これに対して、アリストテレスは「ゼノンは時間の幅ということを考えに入れていない」というような反論をしたそうです。運動というのは時間の幅があって初めて起こるのだから、と。

確かにアリストテレスの反論も分かるのですが、私にはどうももひとつスッキリしない。それをずっと考えていました(暇人か!)

私が納得できる反論とは、どのようなものか?

それは「飛んでいる矢は、ある瞬間にそこにあると同時に、そこにないのだ」というものです。「ある」と同時に「ない 」!
矛盾しておりますね。
でも、そうでしょう? 

矛盾とはダイナミズムだ!

さらに例をあげます。
「プラス」と「マイナス」
は、通常は対立する概念ですね。
でも、棒磁石を真ん中で2つに割ると、片方がプラスだけ、もう片方はマイナスだけということになるでしょうか?
はい、なりません。つまり「プラス」「マイナス」は、同じ事柄の別の側面に過ぎないわけです。「プラスであると同時にマイナス」。

では「生」と「死」はどうか? これも通常は逆の概念です。
しかし、細胞レベルで見れば、古い細胞が死に、新しい細胞が生まれる、この両方が同時に成立することによって「生きて」いるわけです。
これは大きく生態系を見ても同じことが言えると思います。

ですから、矛盾とは運動のダイナミズムであり、躍動する生命のダイナミズムであるわけです。 

とまあ、こういうわけで、お散歩道は時に(いや、しょっちゅう?)矛盾したことを言うわけです(^^)/ 
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